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女子の大学入試優遇について考えてみた

京都大学の理学部と工学部が推薦入試で女性枠を設けるというニュースがあり、yahooニュースなどのちょっとアレな媒体のコメント欄が大荒れになっていた。

www.kyoto-u.ac.jp

個人的にはメリットが大きいと思うので歓迎する一方、(それこそ京大なんだから)もうちょっと理論的な補強が必要なのではないかとも思っており、また、理論的に考えると足りないところも浮かび上がってくるので、自分なりに女性枠の意義を考えてみた。

まず、これを叩いている人が勝手に前提にしているであろう「ペーパー一発テストは公平」という命題の是非について考える必要がある。
前に遺伝的影響のところでも書いたように、ペーパー一発テストで選別できるのは、詰まるところ「たまたま知能が高く生まれてきた人」を見つけているといってよいだろう。大学入試の結果について努力が介入する余地はそれほど多くない。
もちろん、それなりの努力は必要だとしても、私の受験勉強を振り返ってみても、どう考えても中学受験を受けていた数万人よりも努力の量は一桁くらい少ないだろうと思う。「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるように、私は受験勉強を苦痛と思ったことがあまりなく、むしろ楽しく2年弱の受験勉強期間を過ごしてきたというのが正直な印象なので、客観的な量のみではなく、主観的な「苦しさ」も含めたら受験に関して全然苦労しなかったといえるだろう。

「大学入試がたまたま知能が高く生まれた人を選抜するための試験でいいのか?」という点はもう少し突っ込んで検討されてもいいようには思う。ただ、(自己弁護するわけではないが)個人的には社会的にそれなりの合理性はあるだろうなと思っている。というのも、現代のように高度に知的化された社会で、知能の高い人間を選抜し、ある意味で優遇することで社会が発展していくというのはやはり事実であろうと思うからだ。
これがたとえば腕力で収入や社会的地位が決まるような制度であったとしたら、そういう国は没落していくだろうと思うし、逆に、狩猟の能力が重要な原始時代や中世以前の戦国時代であれば腕力をもとに社会的地位を決める方がむしろ社会を発展させられただろう。

では、「理系の大学入試で女性を優遇する」ことが社会的にどういうメリットにつながるかを考えてみる。すると、「女性は理系が苦手」という思い込みを除去することで、社会全体の知的能力が底上げされる可能性があるということはいえるのではないか。もちろんこれが思い込みなのかどうかは検証が必要だが、最近の研究では理系分野について生物学的に差はほとんどなく、「女性は理系が苦手」という環境に置かれると実際に苦手になってしまうようなのだ。

president.jp

だとすれば、そういった思い込みを除去することで、女性の理系能力を抑制から解放することは社会全体の知的能力を高めることにつながるだろうし、大学の選抜方法という社会的関心の高いものが発するメッセージにそれなりの効果もあるように思う(実際ネットは大荒れであった)。

一方、推薦入試は豊かな家庭が有利というのも間違いなくあるだろう。豊かな家庭に生まれたこどもを優遇することは私としてはあまり好ましくないと思う。ひとつには先ほどいったように現代社会が知的社会であること、もうひとつは豊かな家庭に生まれたこどもはそこで優遇しなくてもそんなに人生困らないだろうから格差縮小の観点からも生まれが有利になるような仕組みをなるべくなくしていった方がよいだろうということの2つの理由だ。

すると、推薦入試で女子を優遇するのみではなく、ペーパーテストで女子枠を作ることで、裕福でない家庭に生まれた女子が相対的に有利になる制度も必要なのではないかという結論が導かれる。

しかし、推薦入試の女子枠の設定というかなりささやかな制度の導入ですらヤフコメやTwitterでものすごい憎悪が渦巻いているのを見ると、ペーパーテストへの女子枠導入はさらに悲惨なことになるのは容易に想像され、大学としてもそこまでは踏み切れなかったのかなと思う。

まあ個人的に京大はいい大学で京都は学生がダラダラ過ごすにはいい環境だと思うけれども、調査では別にどの大学に入ったからといって将来的な収入に影響は及ばないというものもあるようだ。
京大なんて学閥もないから就職もたいして有利にならないし、それほど実質的な公平性を損なうような話にもならないだろう。

というわけで、トータルで見て社会的なメリットの方が大きいと思うので今回の京大の決定(そもそも東工大とかはその前からやっているが)は支持する立場をとる。