スーパーこたつインフォ

こたつの中から世界をうかがう

遺伝子検査について考えてみた

ある保育園が遺伝子検査の仲介をしていたとのことで、どうも世の中から批判されているようだ。

news.yahoo.co.jp

この保育園も遺伝子検査をしない人を「情弱」とかいっていたりとあまりまともなところではなさそうではあるけれど、強制したのでない限りそれほど批判されるようなことでもないのではないかと思う。

個人的には人間の適性が遺伝的にある程度決まっているというのは納得感があるし、遺伝子検査でそれを知ることができるというのも一定のエビデンスはあると思っている。

であれば、早いうちに知っておくのはそんなに悪いことではないだろう。こどもにどういう習い事をさせるか、教育を与えるかというのは親にとって重要な問題であり、よりよい選択肢を提供させたいと思うのは人情だろう。なぜそれを外野が批判するのかよくわからない。

別に遺伝的に素質があろうとなかろうとこどもはやりたいことをやるだろうし、そもそも大半のこどもはたいした素質を持っていないということも厳しいけれども事実であろう。スポーツや音楽なんて打ち込んだところで、ほとんどのこどもは将来それで一円も稼げないのだ。

もちろん、遺伝子検査の結果を受けて、適性のなさそうなものをこどもがやりたがったときに、親が一切それをやらせないというような虐待じみたことをやっては問題だろうが、ほとんどの親はそこまでやらないだろうと思う。

むしろ、遺伝的にそれほど素質がなさそうなのに、こどもの頃から受験勉強漬けにしている親は何万人といるわけで、遺伝子検査がそういう教育虐待もどきをやめさせることになるかもしれない。

素質がありそうだとなれば思いきった投資もできるだろう。野球の素質がありそうだとなれば、こどもに高い金を払ってプロのコーチをつけたり、MLBの現地観戦をさせたりするかもしれない。遺伝的素養がわからない段階でそこまでする親はあんまりいないだろう。遺伝的素質がなさそうなら「申し訳ないけどテレビで我慢してくれ」ということにもなるだろうが、そもそも親の金は有限なのだからモノにならなさそうなところにあまりコストをかけたくないというのは仕方のない話だ。

別に遺伝子検査をやろうがやるまいがほとんどの親はそういう「コスパ」を勘案して教育方針を決めているのであり、遺伝子検査で多少なりともコスパがよくなるのであればよい話だろう。

本件について、「科学的根拠がない」という批判があるが、そう主張したいのであれば既存のエビデンスをしっかり批判してほしい。ちゃんとそういった分野を研究した上でエビデンスとともに遺伝的影響の存在を主張している学者もいるのに、それを批判せずに「科学的根拠がない」という方こそ科学的根拠がない批判だろう。

どうせこどもは10代半ばまでに勉強しても成績が伸びないことや努力してもスポーツや絵がうまくならないことなど、自分の素質の限界に直面しなければならなくなるのだ。それを遺伝子検査で知ることになろうと、現実社会の競争で負けることで知ることになろうと、結局は同じ事だ。

この保育園もちょっと変な保育園ではあるのだろうが、遺伝子検査を不当に批判するのはおかしな話である。効率のよい子育てをしたいというのは親にとってのふつうの望みだろう。遺伝子検査を子育てに活かす親がいても批判されるいわれはないはずだ。

大谷が「憧れるのはやめましょう」とかいっていたが、個人的にはそういうのがめちゃくちゃ嫌いで、いうまでもなくほとんど全ての野球少年は憧れるくらいで止めておいた方が無難で、それを真に受けて野球にのめり込んでもまず間違いなくリターンは得られないだろう。

受験にしても、こどもの頃から受験勉強漬けにしていても素質のある田舎の公立進学校の生徒に1年くらいの間にごぼう抜きにされるのが現実で、それが努力が足りなかったからだといわれてしまうのはあまりにもかわいそうだと思う。

遺伝的差異の存在を認めて、その上に社会システムを構築していくことが必要なのだろう。

 

【以下広告】

この本の内容が間違っていると批判することもなしに「科学的根拠がない」と断じる姿勢こそ非科学的だろう。


【電子書籍】生まれが9割の世界をどう生きるか
【通販】生まれが9割の世界をどう生きるか