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政権交代について考えてみた

来週末に衆院選を控える中、各新聞社の世論調査が出てきている。朝日新聞毎日新聞産経新聞では「政権交代すべし」という意見が多数となるなど、明らかに地盤が変わりつつあるという印象。

mainichi.jp

www.sankei.com

digital.asahi.com

 

問題は、前回の政権交代時と違って、交代してほしい先が立憲民主党日本維新の会と2つあるところだろう。すると、さすがに自民党が第一党の座を他党に譲り渡すということはさすがにないだろうなとは思う。次回総選挙のあとに現れる体制は、単独過半数を割った自民党と、野党第一党立憲民主党と、自民党との連立を伺う日本維新の会という姿なのではないだろうか。

定期的な政権交代は二大政党制でないと起こらないというような意見もあるが、実はこのような三国鼎立状態でも政権交代はわりと起きるのではないかという気がしている。というのも、政党が2つしかない場合、第一党がやらかしたときの無党派層の行き場が1つしかない。3党鼎立状態であれば、無党派層の行き場が2つあるため、第一党からより逃げ出しやすくなるだろう。

すると、第一党がより単独過半数を割りやすくなり、野党第一党と第二党による連立政権の可能性が高まることになる。つまり、細川内閣型の政権交代が起きる可能性は、二大政党制よりもむしろ高くなるのではないか。

日本新党とは瓦解してしまったが、安定的な第3極が誕生すれば常に与党が政権交代の緊張感にさらされることになる。それは国民にとってはいいことだと思う。

個人的には、政治家個人の議席は安定している方がよいと思っている。選挙が大変だと政治家が選挙活動しかしなくなるからだ。また、激しい選挙戦を完遂した人しか議員になれないとなると、議員の多様性がなくなるというのも無視できない問題だろう。当たり前だが、議員は選挙に勝った人しかなれない。選挙戦が厳しくなればなるほど議員になる人が似たようなのばっかりになるのは想像に難くない。いくら内閣に女性を増やしても、「男みたいな女」しか選挙に勝てないのなら多様性を増やすことにはならないだろう。

議席は安定するけど政権は安定しないというのがもっとも国民としては利益が大きくなるように思うが、もちろんそれは相矛盾しているのでなかなか難しいだろうなあ。

 

遺伝子検査について考えてみた

ある保育園が遺伝子検査の仲介をしていたとのことで、どうも世の中から批判されているようだ。

news.yahoo.co.jp

この保育園も遺伝子検査をしない人を「情弱」とかいっていたりとあまりまともなところではなさそうではあるけれど、強制したのでない限りそれほど批判されるようなことでもないのではないかと思う。

個人的には人間の適性が遺伝的にある程度決まっているというのは納得感があるし、遺伝子検査でそれを知ることができるというのも一定のエビデンスはあると思っている。

であれば、早いうちに知っておくのはそんなに悪いことではないだろう。こどもにどういう習い事をさせるか、教育を与えるかというのは親にとって重要な問題であり、よりよい選択肢を提供させたいと思うのは人情だろう。なぜそれを外野が批判するのかよくわからない。

別に遺伝的に素質があろうとなかろうとこどもはやりたいことをやるだろうし、そもそも大半のこどもはたいした素質を持っていないということも厳しいけれども事実であろう。スポーツや音楽なんて打ち込んだところで、ほとんどのこどもは将来それで一円も稼げないのだ。

もちろん、遺伝子検査の結果を受けて、適性のなさそうなものをこどもがやりたがったときに、親が一切それをやらせないというような虐待じみたことをやっては問題だろうが、ほとんどの親はそこまでやらないだろうと思う。

むしろ、遺伝的にそれほど素質がなさそうなのに、こどもの頃から受験勉強漬けにしている親は何万人といるわけで、遺伝子検査がそういう教育虐待もどきをやめさせることになるかもしれない。

素質がありそうだとなれば思いきった投資もできるだろう。野球の素質がありそうだとなれば、こどもに高い金を払ってプロのコーチをつけたり、MLBの現地観戦をさせたりするかもしれない。遺伝的素養がわからない段階でそこまでする親はあんまりいないだろう。遺伝的素質がなさそうなら「申し訳ないけどテレビで我慢してくれ」ということにもなるだろうが、そもそも親の金は有限なのだからモノにならなさそうなところにあまりコストをかけたくないというのは仕方のない話だ。

別に遺伝子検査をやろうがやるまいがほとんどの親はそういう「コスパ」を勘案して教育方針を決めているのであり、遺伝子検査で多少なりともコスパがよくなるのであればよい話だろう。

本件について、「科学的根拠がない」という批判があるが、そう主張したいのであれば既存のエビデンスをしっかり批判してほしい。ちゃんとそういった分野を研究した上でエビデンスとともに遺伝的影響の存在を主張している学者もいるのに、それを批判せずに「科学的根拠がない」という方こそ科学的根拠がない批判だろう。

どうせこどもは10代半ばまでに勉強しても成績が伸びないことや努力してもスポーツや絵がうまくならないことなど、自分の素質の限界に直面しなければならなくなるのだ。それを遺伝子検査で知ることになろうと、現実社会の競争で負けることで知ることになろうと、結局は同じ事だ。

この保育園もちょっと変な保育園ではあるのだろうが、遺伝子検査を不当に批判するのはおかしな話である。効率のよい子育てをしたいというのは親にとってのふつうの望みだろう。遺伝子検査を子育てに活かす親がいても批判されるいわれはないはずだ。

大谷が「憧れるのはやめましょう」とかいっていたが、個人的にはそういうのがめちゃくちゃ嫌いで、いうまでもなくほとんど全ての野球少年は憧れるくらいで止めておいた方が無難で、それを真に受けて野球にのめり込んでもまず間違いなくリターンは得られないだろう。

受験にしても、こどもの頃から受験勉強漬けにしていても素質のある田舎の公立進学校の生徒に1年くらいの間にごぼう抜きにされるのが現実で、それが努力が足りなかったからだといわれてしまうのはあまりにもかわいそうだと思う。

遺伝的差異の存在を認めて、その上に社会システムを構築していくことが必要なのだろう。

 

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この本の内容が間違っていると批判することもなしに「科学的根拠がない」と断じる姿勢こそ非科学的だろう。


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女子の大学入試優遇について考えてみた

京都大学の理学部と工学部が推薦入試で女性枠を設けるというニュースがあり、yahooニュースなどのちょっとアレな媒体のコメント欄が大荒れになっていた。

www.kyoto-u.ac.jp

個人的にはメリットが大きいと思うので歓迎する一方、(それこそ京大なんだから)もうちょっと理論的な補強が必要なのではないかとも思っており、また、理論的に考えると足りないところも浮かび上がってくるので、自分なりに女性枠の意義を考えてみた。

まず、これを叩いている人が勝手に前提にしているであろう「ペーパー一発テストは公平」という命題の是非について考える必要がある。
前に遺伝的影響のところでも書いたように、ペーパー一発テストで選別できるのは、詰まるところ「たまたま知能が高く生まれてきた人」を見つけているといってよいだろう。大学入試の結果について努力が介入する余地はそれほど多くない。
もちろん、それなりの努力は必要だとしても、私の受験勉強を振り返ってみても、どう考えても中学受験を受けていた数万人よりも努力の量は一桁くらい少ないだろうと思う。「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるように、私は受験勉強を苦痛と思ったことがあまりなく、むしろ楽しく2年弱の受験勉強期間を過ごしてきたというのが正直な印象なので、客観的な量のみではなく、主観的な「苦しさ」も含めたら受験に関して全然苦労しなかったといえるだろう。

「大学入試がたまたま知能が高く生まれた人を選抜するための試験でいいのか?」という点はもう少し突っ込んで検討されてもいいようには思う。ただ、(自己弁護するわけではないが)個人的には社会的にそれなりの合理性はあるだろうなと思っている。というのも、現代のように高度に知的化された社会で、知能の高い人間を選抜し、ある意味で優遇することで社会が発展していくというのはやはり事実であろうと思うからだ。
これがたとえば腕力で収入や社会的地位が決まるような制度であったとしたら、そういう国は没落していくだろうと思うし、逆に、狩猟の能力が重要な原始時代や中世以前の戦国時代であれば腕力をもとに社会的地位を決める方がむしろ社会を発展させられただろう。

では、「理系の大学入試で女性を優遇する」ことが社会的にどういうメリットにつながるかを考えてみる。すると、「女性は理系が苦手」という思い込みを除去することで、社会全体の知的能力が底上げされる可能性があるということはいえるのではないか。もちろんこれが思い込みなのかどうかは検証が必要だが、最近の研究では理系分野について生物学的に差はほとんどなく、「女性は理系が苦手」という環境に置かれると実際に苦手になってしまうようなのだ。

president.jp

だとすれば、そういった思い込みを除去することで、女性の理系能力を抑制から解放することは社会全体の知的能力を高めることにつながるだろうし、大学の選抜方法という社会的関心の高いものが発するメッセージにそれなりの効果もあるように思う(実際ネットは大荒れであった)。

一方、推薦入試は豊かな家庭が有利というのも間違いなくあるだろう。豊かな家庭に生まれたこどもを優遇することは私としてはあまり好ましくないと思う。ひとつには先ほどいったように現代社会が知的社会であること、もうひとつは豊かな家庭に生まれたこどもはそこで優遇しなくてもそんなに人生困らないだろうから格差縮小の観点からも生まれが有利になるような仕組みをなるべくなくしていった方がよいだろうということの2つの理由だ。

すると、推薦入試で女子を優遇するのみではなく、ペーパーテストで女子枠を作ることで、裕福でない家庭に生まれた女子が相対的に有利になる制度も必要なのではないかという結論が導かれる。

しかし、推薦入試の女子枠の設定というかなりささやかな制度の導入ですらヤフコメやTwitterでものすごい憎悪が渦巻いているのを見ると、ペーパーテストへの女子枠導入はさらに悲惨なことになるのは容易に想像され、大学としてもそこまでは踏み切れなかったのかなと思う。

まあ個人的に京大はいい大学で京都は学生がダラダラ過ごすにはいい環境だと思うけれども、調査では別にどの大学に入ったからといって将来的な収入に影響は及ばないというものもあるようだ。
京大なんて学閥もないから就職もたいして有利にならないし、それほど実質的な公平性を損なうような話にもならないだろう。

というわけで、トータルで見て社会的なメリットの方が大きいと思うので今回の京大の決定(そもそも東工大とかはその前からやっているが)は支持する立場をとる。

ネットにあふれる金融広告について考えてみた(2)

今回は東京海上あんしん生命の「メディカルKit R」をとりあげる。「使わなかった保険料が戻ってくる医療保険」といううたい文句での広告が最近よく流れてくるが、これはどうなのだろうか?

【掛け捨てはもったいない?】


結論からいうと「掛け捨てはもったいない」というのは完全に誤解である。というのは、保険商品はざっくりいうと「掛け捨て」か「掛け捨て+貯蓄(or投資)」のどちらかで、「保険料が戻ってくる」といっているタイプの商品は「掛け捨て+貯蓄」になる。つまり、どっちにしても掛け捨て商品を買うことには変わりないので、掛け捨てがもったいないから貯蓄型の商品に加入するというのは掛け捨て商品に加えて貯蓄商品まで買わされているということになり、もっともったいないことになっている。
これを保険の知識のない適当な評論家がいっているのであれば仕方ない面もあるのだが、このような構造を当然熟知しているはずの保険会社自身が「掛け捨てがもったいない」といって広告を出しているのは問題があるのではないか。「掛け捨てはもったいないですよね!」といいながら掛け捨てと貯蓄を抱き合わせで売っているのである。虚偽スレスレの広告といえるだろう。

【「使わなかった保険料が戻ってくる」はフェアな表記か?】


この商品の構造をみてみると、通常の終身医療保険に「健康還付特則」がついている形になっている。要は、掛け捨ての終身医療保険に「健康還付特則」という貯蓄商品がくっついているような形だ。特則部分にも保険料が発生しており、この保険料を支払うことで、「使わなかった保険料が戻ってくる」というわけだ。
これは、逆にいえば医療保険を使った分だけ積み立てた特則の保険料が没収される」とみることもできる。「使わなかった保険料が戻ってくる医療保険」と「掛け捨ての医療保険と保険を使った分だけ没収される積立貯金のセット販売」ではだいぶ印象が違うだろうが、これらは同じものを指している。さて、どちらがフェアな表記だろうか。
特則部分の保険料はオンラインでの保険料試算では表示されない(これもアンフェアだと思う)が、30歳男性のメディカルKit Rの保険料(月額3,004円)と健康還付特則のないメディカルKit NEOの保険料(月額1,684円)の差額から推測(保障内容が若干違うので厳密には比較できない)すると、ざっくり月額1,500円くらいのようだ。毎月1,500円の医療保険と、毎月1,500円を高利回りで積み立てる「医療保険を使った分だけ積立金が減額される仕組預金(デリバティブ預金)」を同時に契約しているようなものだ。これを率直に説明されたら、あなたは加入するだろうか?
ちょっと論点はずれるが、銀行が仕組預金を売る際は金融商品取引法の規制に服すことになる一方、保険商品の特則として実質的に仕組預金を販売しているこの商品には金融商品取引法の規制がかかっていないが、本当にそれでいいんだろうか?

【なんのために医療保険に入るのか】


医療保険に入ろうと思ったときにどういうリスクをカバーしたいと思っているかをよく考える必要がある。「入院や手術をしなかった場合のリスク」に備えて保険に入る人はいないだろう。やはり、大半の人は長期入院による損失をカバーしたいと思っているのではないだろうか?最近は日帰り入院でも給付金がもらえる商品も多いが、別に日帰り入院で5千円とか1万円とかもらえたとしても、保険で備えるべきものだったのかといわれるとそうではないだろう。それはあくまでもオマケにすぎず、不慮の事故や重大な病気で1ヶ月とか2ヶ月とか、さらにはそれ以上とかの長期入院の際の、貯金で対応するにはツラい費用に備えて医療保険に入るのではないだろうか。
すると、医療保険と長期入院すればするほど貯金が没収されるような貯蓄商品を同時に加入するのははたして合理的なのだろうか?長期入院のリスクを軽減するために医療保険に入っておきながら、同時に長期入院のリスクを増幅するような貯蓄商品に加入するわけである。アクセルとブレーキを同時に踏むようなもので、とても合理的とは思えない。
養老保険終身保険のような掛け捨ての死亡保険+単純な貯蓄のような、保険を邪魔しないような貯蓄商品であるなら好み(リスク選好)の問題といえるのかもしれないが(私自身は保険商品で貯蓄や投資をすべきではないという立場)、この商品は、特則を付加することによって「長期入院リスクに備える」という保険の効果を阻害してしまうのである。これこそ真の意味で「もったいない」のではないだろうか。

【結論】
メディカルKit Rは「使わなかった保険料が戻ってくる」機能が医療保険の機能を阻害しているという、とても「もったいない」商品。好き嫌いの次元を超えて「非合理的」な商品なので、絶対に入るべきではない。医療保障が必要なら余計な機能のついていない普通のものに入るべき。
広告も非常にミスリーディングであり、消費者の無知や誤解につけこもうとする姿勢が伺われ、問題が多いといわざるを得ない。消費者庁案件なのではないか。

東京海上あんしん生命の「お客様本位の業務運営方針」に記載のとおり、「お客様に商品内容等に関する詳細な情報をご提供・ご説明し、正しくご理解」いただいてもらいたいものである。


お客様本位の業務運営方針 | 東京海上日動あんしん生命保険

 

ネットに溢れる金融広告について考えてみた(1)

このブログはジャーナリストでもなんでもない私が考えたことを書き留めていくもので、別に受験についてのものではない。書き始めにたまたま娘の受験についていろいろ考えていたのでちょっと書いてみたという経緯である。
なので、今回趣向を変えて私のSNS(主にFacebook)でみかけた投資広告にツッコミを入れていきたいと思う。

第1回目は天下の三井物産が販売する「オルタナ」をとりあげる。なお、あくまでコタツ記事なので広告とその先のリンクくらいしかみておらず、「もっと掘ればちゃんと書いてあるだろ!」みたいなものもあると思うが、そもそも掘らないと出てこない時点で広告としてはダメだといってよいので、消費者としての強い気持ちで批判していきましょう。

【想定分配金年3.0%】


単純に利回りが低い・・・
J-REITの分配金利回りが4%前後なので、この商品を買う理由がない。まあそれは三井物産の人もわかっていると思われるので、ここから「いかにREITより優れているか」のアピールが始まる。

【値動きを気にする必要はない?】


値動きを気にする必要がないのではなく、リアルタイムの値動きがわからないというのが正しい。潜在的には当然値動きはあるし、償還の際の売却損益は当然リターンに関わってくるので気にすべきポイントである。本質的に値動きが重要であるにもかかわらず「気にする必要ない」といってしまうのはかなりミスリーディングな記載であると思う。

【不動産の現物価格は安定している?】


とてもミスリーディングな記載で、虚偽スレスレだと思う。知識のない人は「そうか、現物の方が安定してて安心だな!」と誤解してしまうのではないか。
もちろんそんなわけはなく、これはあくまでも「大量の現物不動産の価格の平均」であり、ガッツリ分散が効いているわけで、オルタナの扱っている商品のような単一の不動産への投資は分散が効いておらず極めてリスキーであることを隠そうとする意図が働いているといえるだろう。
三井物産の掲げる「お客さま本位の業務運営に関する基本方針」第4条にも違反しているのではないか?

第4条 重要な情報のわかりやすい提供
当社は、商品内容やリスク内容等の重要な事項について、お客さまに十分にご理解いただけるような説明を行うとともに、運用中ファンドについての定期的報告を含め分かりやすい形での情報提供に努めます。
https://corp.mitsui-x.com/assets/corporate/fiduciary.pdf

【投資対象の分散が効いていないことの正当化】


表の中で投資対象の分散が効いていないことを「投資対象のわかりやすさ」として○評価としている。Jリートは×だそうだ。
これを書いた人に少しでも良心があるのなら、当然分散が効いていないことのリスクの説明があるはずだ。この物件の真下で直下型地震が起きたり、手抜き工事が発覚したりしたら一撃でお陀仏である。分散が効いていないということはそういうことだ。


さすがに後ろめたいのか、言い訳は書いてあるが、個人で分散ポートフォリオを構築しろとむちゃくちゃをいっている。それができるなら小口投資なんてやらんだろう。

流動性が○?】


年2回売却申込ができるから流動性は○だそうだ。しかし、売り先とのマッチングが成立した場合に限るとのことだ。売り先とはどこなんだろう?マッチングの実績はあるんだろうか?
こんな不安な状態なのに、現物不動産の流動性はなんと×だ。いつでも不動産屋に話を持ち込めて、値付け次第ではすぐに売却先が決まる現物不動産の流動性の方がまだマシに思えるがどうだろう?少なくとも、現物不動産よりはるかに流動性が高いと認識させるようなのはよくないだろう。

 

【結論】
個人的にはこれがREITに勝ってるところがなんもないと思うので絶対買わない。せめてREITより利回り高く設定しなきゃ勝負にもなってない。分散は素人がプロに勝つための最強の手段という認識が必要。

小学校受験について考えてみた(6)

これまでいろいろ書いてきたことを整理してみる。

小学校受験の目的】
うちの子(女子)の遺伝的ポテンシャルを十分に発揮できるような環境を用意するため、共学ではなく女子校になるべく早いタイミングで入れたいから。

【なぜ小学校受験なのか】
中学受験に比べれば倍率は高くなく、それほど負荷をかけなくても合格できそうなところもあるから。要はリーズナブルだからということ。

【なぜ中学受験ではダメか】
首都圏の中学受験環境は加熱しているとしかいいようがない状況にあり、こどもに望ましくない負荷をかけてしまうリスクがあるから。

【なぜ高校受験ではダメか】
ダメではないが、中学受験の波に飲まれてしまわないか自信が持てないから。大学合格ということだけを考えるなら、勉強を始めるのは高校からでも十分(私の実体験による)。

【戦略の概要】
こどもにとって負荷がかかりすぎない範囲で入試の対策をする。そもそも、うちの家庭(共働き)が入学希望の小学校から承認されるかどうかも大きな問題なので、こどもの試験対策に負荷をかけすぎてもしょうがない。要は「自然体」で臨むということ。

リスクヘッジ
ダメだったら基本的には高校受験を想定して準備を進めるが、「女子校に早いタイミングで入れる」という目的を達成するために女子中学校の受験も睨みながら検討する。

 

調べてみたところ、私が中学生だった頃も都市圏の中学受験人口は3~4万人いたようだ。テレビのクイズ番組「平成教育委員会」でもよく中学入試の問題が出題されていた記憶がある。
その人たちは、中学校入学時点での学力は間違いなく私より高かったはずである。その後も、私立中学校で私のいた田舎の公立中なんかより遙かにレベルの高い教育を受けてきたはずだ。
しかし、少なく見積もってもそのうちの2~3万人は、高校二年生から大学受験の勉強を始めた私(塾は一切行っておらず、模試での利用のみ)に1年ほどの間で学力を追い抜かれてしまったといわざるを得ない。中高一貫私立や学習塾の効果はその程度であると認識しておくべきであり、過度に拘る必要はないだろう。

知能や学力についての遺伝的影響は50%~70%程度で、環境の影響は10%前後であるようだ。なのでそもそも環境にそんなに拘ってコストをかけても仕方がなく、遺伝的なポテンシャルを抑制してしまわないように(たとえば、こどもを家の中に閉じ込めて一切の教育を与えなければ当然遺伝的ポテンシャルも潰してしまうだろう)だけ気をつけておけばよいと思っている。そういう意味で、日本の公教育には信頼を置いているのだけれども、やはり学級崩壊がどうのとか、教師の質がどうのとか、公立は荒れている云々とかを聞いてしまうと、まさにその「遺伝的ポテンシャルを潰してしまうような環境」にハマってしまうのではないかと不安になるのは仕方ないのかなと思う。

また、女性についてはちょっと恐ろしいデータもあり、日本の男性の収入の50%くらいは遺伝的影響といえる一方、日本の女性の収入は遺伝的影響が0%だそうなのだ。これは、男性はおそらくは遺伝的に知能や学歴が高ければなんだかんだで高い収入を得られている一方、女性は知能や学歴と収入がリンクしていない可能性があるというかなり恐ろしいデータだ。もちろん働いている女性に限って調査するとか細かく見れば違う可能性もあるので短絡的に結論を出すことはできないが、女の子に関しては「まあなるようになるさ」という楽観視ができない可能性があるということは注意しておきたい。
ジェンダーギャップについて頭では理解しているつもりでも、こういうデータでギャップの存在の可能性を示されるとやはり男である自分では実感できない障壁もあるのだろうなと考えさせられた。(続く)

【以下広告】

遺伝的影響についての話はこちらの本で勉強しました。なかなかショッキングなデータが多いものの、本当にショッキングなのはこういったことが公的に認知されていないため、遺伝的な差異がそのまま経済的差異・社会的差異として容認されてしまっている(結果が出ないのは努力が足りないのだから本人の責任だ、という自己責任論に帰着してしまう)ことだという筆者の意見に賛同します。


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小学校受験について考えてみた(5)

小学校受験をする上でペーパーテスト対策をする必要があるが、さすがにこれにコストをかける気にならない。
こんな問題が出されるのだ。

こんな問題できますか?|小学校受験・幼稚園受験の名門 幼児教室 にっけん

これはもはやただの知能テストであり、受験時点での発達が早いかどうかを見るだけのものとしかいいようがない。引用先サイトで「小学校入試問題の正解率 4~5才児83%、東大生78%」と東大生に勝ったことを誇らしげに書いているが、要は東大生が特に必要ともしていない能力のトレーニングをしているというだけの話である。もちろん東大がえらいわけではないのでこれがなにかの役に立てばそれでいいのだが、このテストでいくら優秀な成績を残したところで、将来社会を発展させていくことはできないだろう。

そもそも、この「話の記憶」の問題の解答が私にはわからない。左から2番目の男性は話の中で言及されていないので、この人を選ばせようという趣旨なのだろうなというメタ読みはできるが、論理的に考えれば、「駅の改札口で待っていたお父さん」が「バスから降りてきたネクタイをした人」と同じようにネクタイをしている可能性だって十分ある。端的に酷い問題だなと思う(なお、私の画像の貼り方がよくないので「話の記憶」の問題も学習院初等科の試験問題と誤認されるかもしれないが、これは学校名は不明だが実際に私立小で出された問題とのことだ(引用先参照))。ロジカルなこどもほど解答に悩むような問題を出題するのはさすがによくないだろう。空気を読むスキルを問うているのだとでもいうつもりなのだろうか?

小学校の入試は受験生であるこどもが文字が読めない前提なので、問題文ではなく口頭の質問になっているそうだ。すると、上記引用のような、お話が読み上げられあとから内容を問われる「記憶のテスト」のような形式になってしまう(メモも禁止らしい)。こんなの普通に文章を読む国語のテストや足し算・引き算をやらせた方がよほど意味があるだろうと思う。
コンピューターとインターネットが発達し、AIすら実用化されている現代において、「短期記憶」などというものは人類がもっとも苦手な領域で優先的にアウトソースすべきものだ。鶴亀算もそうだが、将来別のもので代替されることが確定的なスキルを受験のためにこどもに埋め込むというのは本当にやりたくない。

ねんのため、これは必ずしも学校を批判しているわけではない。私立学校はビジネスである以上、発達が早いこどもを集めて学校の評判を上げ、収益を確保していく必要があることは当然だ。
問題は親の側であり、こどもの発達が早いと見せかける目的で、このような問題へのトレーニングをどこまでやるかが問われている。さすがに初見で試験に臨むというのは無謀なので事前にトレーニングをしておくこと自体は仕方ないだろう(本来は試験問題自体が事前のトレーニングが不要・不可能なものであることが望ましいとは思うが)。

当家庭としては、試験のトレーニングはこどもがパズル感覚で楽しんでやれる範囲で、場慣れさせるためにのみトレーニングを実施することとした。スコアの「底上げ」は目的とせず、場慣れすることによる自然上昇のみを目的とする。
幸い、うちの子はこれらの問題をやるのは楽しいようで、いまのところは苦になっていなさそうだ。もちろん、中には1問解くのすら苦痛で集中できないという子もいるだろうが、そういう子は小学校受験は向いてないと思って諦めるべきだと思う。男子であれば仮に小学校受験・中学受験をしないという選択肢をとっても、公立の高校受験で大学を目指すというのは十分現実的なルートなので、それで問題ないだろう(自分がそうであったし)。

繰り返しになるが、私がこどもに小学校受験をさせようかどうかを迷っているのは、女の子だからというのが大きい。共学ではポテンシャルを抑制されるリスクが排除できない以上、男子のような楽観的な予測をするわけにはいかない。とはいえ、嫌がるこどもを机に縛り付けて知能テストのトレーニングをさせるというのはいくらなんでもやりたくないので、リスクを承知で共学の公立校に入れるということになるだろう。本来はトレーニングが不要な試験とすべきだとは思うし、公立の女子小中学校を充実させるべきだとは思うが、まあ社会に不満をぶつけても仕方ないので現状でできる範囲のことをやっていく方針である。(続く)