スーパーこたつインフォ

こたつの中から世界をうかがう

小学校受験について考えてみた(4)

うちの子が女の子であることがなぜ問題なのかというと、共学だと女子生徒は成績が低くなるという研究結果があったりするからだ。

 

www.asahi.com

 

共学だと成績のいい女子は男性からモテなくなるため、女性側が無意識に能力を抑制してしまうことが原因であるとかいわれているらしい。男子校では特に共学に進学した場合に成績は変わらないそうなので、男子はどっちでもいいのだろうが、女子については共学に入れるか女子校に入れるかというのはしっかり考える必要が出てくる。というか、あえて共学に入れて無用のリスクを取る必要はないので、女子校に入れられるのであれば入れるべきなのだろう。

もちろん、男に尽くす伝統的な女子を育てるようなお嬢様学校(そんなものあるのかどうか知らんが)に入れると逆効果になるような気もするが、ざっと調べた範囲では大抵の女子校は基本的には自立した女性を育成するというのが基本方針のようで、そのあたりは問題なさそうだ。
また、女子が理系が苦手というのも必ずしも生物学的な特徴なのではなく、女子校だと明らかに理系進学が多いというようなデータもあるようだ(ただ、未成年の女子が男子より言語的能力が高いのは明らかだとも思うので、生物学的な結果として文系の方が多くなるというのも納得できる話ではある)。
うちの子は数字が好きで、本も物語よりも科学の本を好んで読んでおり、なんとなく理系の適性が高いのではないかという気がしているので、それを抑制されるような環境にはおきたくないと思っており、そうするとなるべく早いうちから女子校に入れてしまうというのが合理的な選択肢なのではないかと考えている。

しかし、そうするともはや公立という選択肢自体が取りようがなく、私立受験せざるを得ないということになってくる。最近は経営上の理由で女子校が共学化する事例が増えていると聞くが、共学で女子の能力が抑制されるというような話を聞いてしまうと、女子校をむしろ増やす方向でなにかサポートがあってもよいのではないかと思う。
いうまでもなく私立校は金がかかるわけで、ある程度経済的に余裕のある家に生まれなかった女子が能力的なハンデを負うことになってしまうと思うと、いわゆる親ガチャ、生まれガチャという言葉が冗談では済まなくなってくる。本当は公立校並みのコストで女子校という選択肢がとれるといいのだけれど、現時点で無い物ねだりをしていても仕方がないので、まずは自力でなんとかしようと思う。

東京都の高校無償化は、金持ちが私立校で充実した教育を受けるのにも税金を投入するという、ただの選挙目当てのバラマキでしかない愚策中の愚策でまったく支持する気にならないが、経済的な余裕のない家庭の女子が環境の充実した私立女子校を選びやすくなるという点では若干の意味があるのかもしれない。もちろん、そういう政策効果を狙うのであれば公立校のクオリティの向上や公立女子小中高校の設立など、目的に対して過不足のないものであるべきなのはいうまでもない。(続く)

 

【以下広告】

本文中でも引用したリンクの中室先生のベストセラー。実は私も断片的にしか内容を知らないのでこの機会に読んでみます。


「学力」の経済学

小学校受験について考えてみた(3)

本音をいえば私は中学校受験はそもそも嫌いだ。いずれ誰でもわかるようになるか、将来役にも立たない知識を小学生に詰め込んでいるだけだろうとしか思えない。
中学受験の必須知識として鶴亀算があるのではないかと思うが、あれは本当に酷いと思う。日本で私より数学のできる人は1万人はいないと思う。まあ1,000人はいるだろうから私の数学的能力は日本人の上位0.001%~0.01%に入っているだろう。そんな私だが、鶴亀算はできない。そもそもやったことがない、存在自体たぶん高校生くらいになってから知った。それで困るかというと当然なんにも困っていなくて、なぜならば鶴亀算をより一般化したものである連立方程式を難なく扱えるからだ。鶴亀算の勉強など無駄でしかないと思う。
いま中学受験人口は5万人くらいいるそうだが、その5万人が鶴亀算の訓練に何十時間も使っているのかと思うと数百万時間がドブに捨てられていることになる。まあ現実的には中学受験するような生徒は事実上連立方程式で解いてるんだろうなとは思うが、妻(それほどレベルの高くない私立中高一貫校の出身)の実体験として、中学生になってからも鶴亀算の癖が抜けず、連立方程式で処理すべき問題を鶴亀算で解いてしまって先生に直されていたという人もいたそうで、そこまでいくとさすがに受験教育の弊害といわざるを得ないだろう。
自分のこどもには鶴亀算のために1秒も時間を使ってほしくないので、心底中学受験はさせたくないなと思う。

ここでもうひとつ重要な結論が出てくる。それは「中学受験を回避するために小学校受験をするのであれば、小学校受験のために多大な負荷をかけては本末転倒である」ということだ。
小学校受験の問題もパラパラ見てみたが、あれはただのIQテストであるから、基本的には我が子の発達段階が多少早めであることを祈るしかない。IQテストのスコアを上げるための勉強というのはさすがに負荷を超えて虐待の領域に踏み込みつつあるだろうと思う。
本人がパズル的に楽しめる範囲、試験のパターンに慣れるための範囲に止めておくのでないと、中学受験戦争を回避する意味がなくなってしまう。

そこでさらに、戦略として「狙うなら倍率低めの小学校か、ペーパーテストの比重が軽い小学校にすべき」というものが導かれる。
倍率が高くてペーパーテストの比重が重い学校を選んでしまうと、こどもにペーパーテスト対策を大量にやらせるハメになり、それでは中受を回避した意味がない(というか中受の方がまだマシ)。

他に、受け答えとか工作とか運動とかのテストもあるようだが、そんなもん対策いらんだろとしか思えない。受け答えなんて普段からこどもと会話してれば身につく話で、工作が上手か、運動ができるかどうかで合否を決めるようなろくでもない小学校ならこっちから願い下げである(そのあたりはさすがにデキの善し悪しではなく違った視点で見ているのだとは思うが、そうであればますます対策の必要はない)。
要は「こどもが自然体+αくらいで合格できそうなところを探す」ことにしようと現時点では思っている。

ただ、ひとつ考えるべき点があり、それはなにかというと、うちの子が女の子であることだ。(続く)

【以下広告】

中学校受験について、当然私は実体験としてはなんにも知らないので、基本的に偏見と思い込みで語っているところがあります。そもそも本当に中学校受験は悪いものなのかどうかも並行して勉強中ですが、いまのところあまりポジティブな印象は持てていません。こちらの本が大変参考になったので紹介します。


【電子書籍】中学受験をして本当によかったのか
【通販】中学受験をして本当によかったのか

※ 当ブログはアフィリエイト収入を副次的な目的として開設しています。書籍の広告が多くなると思いますが、電子書籍はできれば日本のリアル店舗と連動しているhontoを使ってもらいたいと思っているのであえてamazonの広告は貼らない方針です。
なお、hontoの紙の書籍の通販は2024年3月末で終了するので、書籍通販については紀伊國屋書店の広告を掲載します。

小学校受験について考えてみた(2)

知人曰く、「私立小学校に通うと確かに金はかかるが、公立小学校に行って中学受験の塾に行ったら結局同じくらいかかる」ということで、いわれてみると確かにその通りなのだ。これまで小学校受験というものを視野に入れようとしたこと自体がなかったので気づいていなかったが、悪名高き慶応幼稚舎でも純粋な授業料自体は100万ちょっとくらいで(そりゃ他にもいろいろかかるんだろうけど)、サピックスの4年生以降の授業料が年間50~70万円くらいだと思うと想像していたほどのギャップがあるわけではなかった(調べてみるまでは慶応幼稚舎とか年間500万くらい取られるイメージだった)。
他の私立小学校は年間50~70万円くらいが多いようで、私の飲み代とマンガ代を減らせばまあなんとでもなる金額である(減らさなくてもなんとでもなる)。

すると、逆のロジックとしてひとつ導かれるのは「大学受験をひとつのゴールとして捉えるならば、小学校受験をする以上中学校受験をしたら意味がない」という結論だ。調べると、中受前提の私立小学校というのもあるようで、それはさすがに公立小にいって塾に通った方が効率いいだろという気がする。
さらにいってしまえば、私がもともと想定していたように、「中学校受験を完全に無視して最初から高校受験を前提にしておけばいい」というのもそれはそれで合理的な戦略なのだが、中学校受験をしてこなかった私ですら「中学校受験しないとダメなのかなあ」と心が揺れてしまうような現状で、本当に最後までその方針を貫けるのか、まわりに流されて不本意な形で受験戦争・受験狂騒曲に巻き込まれてしまわないか、自信がないというのが本音のところだ。

自分のことを思い返してみても、中3くらいまでは大学進学を意識したこともなかったのが「全国のライバル(笑)に比べて遅れているのではないか」という不安を感じずに済んだ最大の要因だろう。中3になるとさすがに先生も大学に行けということをいいだして地元の進学校に漫然と進んだが、高校受験は勉強した記憶がない。先生に「お前は100%受かるから推薦枠は他に譲れ」といわれて、まあその通りだなと思っていたのでふつうに入試を受けてふつうに合格した(一応いっておくと別に自分が天才であるとか神童であったとかは全く思っていなくて、私程度の話ならどこの田舎の公立進学校にも転がっているありふれた話である。むしろ大学入学後にガチの天才とはこういう連中かというのを知りショックを受けた。)。
これが都会だとそこまで余裕もなかったのではないか。まわりに明らかに自分より成績がいい人がいて、それが塾に通っているとなれば、それを無視して毎日ゲームをして過ごすような生活を送れたかといわれるとさすがに無理だっただろうなと思う。
一応断っておくと、本は好きであったのでたくさん読んでいて、それが自分の知識のベースになっているのは間違いない。とはいえ、hontoもamazonもない当時、田舎の書店なんてたかがしれているわけで、家にあった蔵書(主に歴史小説吉川英治とか司馬遼太郎とか)と学校の図書館と田舎の書店程度の範囲なので別に特段恵まれているわけでもなく、現代でも当時でも誰でも手に入る環境でしかない。高校生の時、初めて八重洲ブックセンターにいったときの感動は未だに覚えている。

話を元に戻すと、中学受験の現実を知ってしまった以上、それをスルーして我が子を信じ抜く強い気持ち・強い愛を高校入試までキープできるかというと、まあ途中でゆらぐリスクがないわけではないなという結論に至ったというのが現状だ。(続く)

 

【以下広告】

こどもの頃に好きであった本のひとつとして五味太郎のことわざ絵本があります。これでことわざや四字熟語、故事成語に興味を持つようになり、最終的には国語が入試の得点源になっていったと思うので小学校低学年くらいのこどもにお勧めです。


ことわざ絵本part1


ことわざ絵本part2

※ 当ブログはアフィリエイト収入を副次的な目的として開設しています。書籍の広告が多くなると思いますが、電子書籍はできれば日本のリアル店舗と連動しているhontoを使ってもらいたいと思っているのであえてamazonの広告は貼らない方針です。
なお、hontoの紙の書籍の通販は2024年3月末で終了するので、書籍通販については紀伊國屋書店の広告を掲載します。

小学校受験について考えてみた(1)

先日、知人と飲んでいたら子供を私立小学校に入れたとのことだった。
「いわゆるお受験ってやつ?」と聞いたら「そうだ」とのことで、「中学受験するより金も労力もだいぶマシだし悪くないのでは」といっていた。

私はど田舎の生まれで、小学校と中学校は完全学区制で受験どころか選択肢そのものがなかった。中学校は授業中に不良がスプレーで火炎放射をして暴れているようなところで、とても上等な環境であったとはいえなかった。音楽の先生は授業中に突然矢追純一のUFO番組を上映し始め、みんながゲラゲラ笑いながら見ていると「お前ら笑ってるけどいつか真実が明らかになるぞ」というガチの人で、現代だといろいろマズいことになっていただろうなという環境でとりあえず15歳まで過ごした。
高校はこれも学区内の県立進学校に進み、さすがにそこではそれなりに受験教育もあったし別に悪くはなかったのではないかと思っているが、まあ都会の進学校・進学塾に比べれば質・量ともに話にならないレベルだったのではないかと思う。

そんな環境でも正直楽勝気味に現役で京大にいけた(京大を選んだのは森毅先生の本をよく読んでいたのと歴史小説が好きだったので京都に憧れがあったため。東大もいこうと思えば間違いなくいけたという自信がある)ので、自分の中では中学受験というものの存在意義がイマイチよくわかっていない。金もかかるし、小学生なんてジャンプ読んでファミコンしてりゃいいだろくらいに思っているので、塾にやって勉強漬けにするというのは単純にかわいそうでもある。

とはいえ、まわりの話を聞いていると「東京の公立は荒れてるから私立じゃないとダメ」というようなことをみんないっており、いくら荒れているといっても私の母校より荒れてることもなかろうという気はするのだが、東京の公立中学校では中学生が大麻を吸っているみたいな話を聞くとさすがに多少不安にはなる(母校ではたばこやシンナーはいたがさすがに大麻は聞いたことがない)。

なので、漠然と「中学受験も考えないといけないのかなあ」と思っていたが、小学校受験という選択肢があることに気づいたら、確かに悪くない選択肢なのかなと思えてきた。(続く)